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@パークス法律事務所
那須トレーニングファーム

 ゴールデンウィークで訪ねた栃木の2箇所目は那須トレーニングファームです。

 

 知人の廣田龍馬さん家族が、昨年の栃木いちご一会国体の馬術競技に参加するので、応援にいかなければと思っていたのですが、東京都軟式野球連盟の講習(講師担当)と日程が重なってしまい、リアル応援はできませんでした。

 

 廣田夫妻はW優勝といううれしい結果でした。遅ればせながらの御祝いとファームの見学です。廣田さんの先代から引き継いできた、馬と馬術競技に対する思いを改めて知る機会になりました。

 

 日々の仕事に追われて、宿題がなかなか仕上がらないのですが、ようやく大田原、那須と訪れることができました。今年のゴールデンウィークに感謝です。
 

posted by koichi | 11:16 | 日々雑感 | comments(0) | - |
ハリーポッターの骨折とロックハートの治療−事務管理になるのか?

 知人の整形外科医との共著でスポーツ現場での応急措置についての解説を書いていて、善きサマリア人の法について考える機会がありました。


 以下は雑文です。

 

 ハリーポッターシリーズの「秘密の部屋」では、ロックハートが腕を骨折したハリーを治療しようとした時に、ハリーは、ロックハートが正しい治療ができるとは思っていなかったので(話の展開からは私はこう理解しています。)、ロックハートの治療を受けることを拒みました。

 

 しかし、ロックハートは、ハリーが治療を拒んでいるのを無視して、骨折を治そうと呪文をかけましたが、骨折を治すことなく骨を抜き取ってしまいました。

 

 校医のマダム・ポンフリーは「骨折ならあっという間に治せますが、骨を元どおりに生やすとなると…」と怒っていました。

 

 この話が「人間界の日本で起こったできごとだとしたら・・・」と思ったこと。

 

(1) 腕の骨折の治療は、一般的には医療機関を受診して治療をすることを待てない、緊急な応急手当が必要だという事態は多くない。ハリーの骨折も話の中ではこのような緊急性が認められる事情はなかった。
 このような状態は、「緊急事務管理」(民法698条)の「本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるため」という要件の「急迫の危害を免れさせるため」という要件に欠ける。
 したがって、「緊急事務管理」は成立せず、ロックハートは一般の「事務管理」(民法第697条)の善良なる管理者の注意義務(抽象的な平均人としての注意義務)を負う。←緊急事務管理が成立する場合は、「
悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。」とされています。
 ロックハートの呪文間違いが重過失でなくても(呪文間違いが無過失ではないという前提です。ホグワーツ魔法魔術学校の教師ですから重過失が成立するように思います。)、ロックハートは善良なる管理者の注意義務(抽象的な平均人としての注意義務)違反として、不法行為責任を負う。

 

(2) それ以前に、通常の「事務管理」と考えたとしても、「義務なく他人のために事務の管理を始めた者は、その事務の性質に従い、最も本人の利益に適合する方法によって、その事務の管理をしなければならない。」(民法第697条)のであり、「他人のため」という要件が必要であり、本人の意思に反しないことが求められる。

 

 本件では、ハリーは明確にロックハートの治療を拒んでいるので、本人の意思に反した行為を行っているので、そもそも「事務管理」の要件にも欠ける。

 

 事務管理として免責されることはないので、ロックハートの応急手当としての措置が間違っているので不法行為責任(第709条)を負うのは当然であるし、ロックハートが正しい呪文を唱えても(適切な応急措置であっても)、ハリーの自己決定権の侵害として不法行為責任を負う(損害をどう見るかはあるにしても)可能性がある。

 

 これが日本の法律の適用だと思いますが、医療関係者は違和感あるのかな?

 

posted by koichi | 11:15 | 日々雑感 | comments(1) | trackbacks(0) |
引っ越し秘話
 虎ノ門一目再開発の関係で事務所の移転となりました(新しい事務所はこちら⇒ )。

 2月27日(土)に荷物が移動するというのがコア。

 事務所全体としては、2月25〜6日(金)が梱包。2月28〜29日(月)が梱包材の整理。という日程としました。あらかじめ、事務所スタッフは28日(日)は休日出勤の要請。

 ところが、私は、25日(木)は熊本県教育委員会で講演。その晩は、熊本泊まりでしたが腰痛がひどくなり、一応26日(金)の一便で羽田まで戻ったものの事務所直行は断念。一旦自宅に戻って、少し休んでから事務所に行こうとしたのですが、×。夕方事務所にSOS.「代わりにやっといて!」。←実に無責任!!

 27日(土)は痛み止めを飲んで岩手県高等学校野球連盟での講演。日帰り。28日(日)は午前中はダウン。午後から整理に。私の優秀な秘書や他のスタッフ、同僚の弁護士の援助でなんとクリアしました。

 以上のような経過で、私自身は、2月29日(月)〜3月5日(土)は片付けで手一杯。

 3月3日(木)締め切りの原稿がありましたが、申し訳ありませんが、片付け優先。なんとか昨日3月12日(土)に入稿です。

 事務所移転時のトラブルで言えば、前歴があります。2004年、医学系の学会で「中高年のスポーツ事故における法的責任」のテーマで報告するために、ホテルの幹部職員となっていた大学同級生に依頼して国際会議場の隣のホテルに泊まりました。ところが、そのタインミングで、当該ホテルの個人情報流失に伴う非常事態対応に応援部隊として入ることとなり、大阪で3日間居残りとなったことがあります。大阪に居残れたのは、引っ越しのための日程を3日間確保していたから。

 それでは、引っ越しをどうしたかというと、新旧事務のスタッフに急遽連絡して、パッキング⇒送付⇒梱包をあけるという作業を、休日出勤で対応してもらったのが2004年11月です。事務所移転にはトラブルがつきまとっています。

 もう移転作業はいやだ!!
posted by koichi | 16:02 | 日々雑感 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本企業は捨てたものではない
 私のブログは、7月から3か月も更新されず、放置状態でした。

 これには、それなりの事情(ブログの更新より優先すべき仕事山積み)があるのです。

 編集者には怒られそうですが、本当はこんな投稿をせずに、10月末の締め切り原稿に向かわなければいけないのです(入稿間に合うかな・・・・)。

 先ほど、友人の弁護士からこのサイトを知らされました。

https://www.cataloghouse.co.jp/company/cm/?sid=top_cm

 一企業として、正論ではあるが、圧力も多いだろうと想像するので、正論派で大胆なのか、あるいは、私のような普段情報発信をしない人間でも拡散するという広告のツボを押さえた企画か・・・・。

 全国から国会に駆け付けている人々がいる中で、私は、国会の近くの虎ノ門で仕事していながら、国会周囲活動に全く参加できていません。先日も懇親会に来ない友人弁護士に電話したところ、「今国会前にいないで、懇親会!!」としっかり叱られました(その後の、天候で応援にいかなくてもすんだという後日談です)。

 こんな立場の者としては、「日本企業もなかなかじゃん!!」と感動を覚えたので、原稿書きを中座しての投稿です(編集担当御容赦を)。


posted by koichi | 22:58 | 日々雑感 | comments(0) | trackbacks(0) |
裁判所の常識は国民の常識?
 家裁の相続関係事件で、裁判官の指示ということで書記官が申し訳なさそうに戸籍の追完の連絡をしてきました。

 被相続人の祖父母に当たる方3人の生存の有無がわかる資料の追完を求められています。この3人以外の方で相続人となる可能性となる方は、全員死亡していることはもちろん戸籍謄本添付で明らかにしています。

 求められている3人の死亡を公文書で確認できておりませんが、お生まれになった情報で現在判明している事実は以下のとおり。

 お一人は、安政3年(1856年)生まれであり、現在生存しているとすると158歳となります。

 残りのお二人は、現在生存(もう30年以上前に逝去)していれば119歳となる(明治29年(1896年)生)方の御両親です。私が調べた訳ではありませんが、関連資料では、地方公共団体が、「戸籍保存年限経過により照会不能」と報告している事案(この報告書は入手していますが、この報告書の基礎資料は手元に来ていません)。

 日経新聞は、
(1) 今年の4月1日の日本最高齢の117歳の方がなくなったこと、
(2) 今年の7月7日には、男性最高齢の112歳の方が亡くなったことを報じている。

 3人は、生存していればいずれも新聞報道で日本最高齢と報道されている人よりも明らかに高齢。

 安政3年(1856年)生まれの方は、4月1日になくなった方よりも39年前に生まれています。

 明治29年(1896年)生まれの方が、両親14歳の歳に生まれているとすると(戸籍実務上生殖能力の最低限度の年齢)、両親が生存していれば133歳であり、
4月1日になくなった方よりも16年前に生まれている。
 
 「本当に追完が必要?」と一応は書記官に検討を御願いしましたが、どうなることやら・・・・・・。

 私の判断は戸籍を追うまでもないのでは?

 戸籍を追う手間は私が我慢すれば良いのだけれど、その費用は裁判所ではなく、依頼者や関係当事者が負担するのだけれど、その費用負担を強制する合理的な理由があるの?

 というのが私の疑問です。

PS:先ほど担当書記官から電話連絡があり、戸籍は追わなくても良いとの連絡ありました。やれやれ・・・。2015/07/17 14:07
posted by koichi | 13:31 | 日々雑感 | comments(0) | trackbacks(0) |
グチの三つ目です
 連休末の大掃除で不用意なカゼを引き込み、ようやく治りかかったのですが、全く身寄りのない方(私が後見人)が急に健康状態が悪くなり、元気だった状態から3か月で急逝されました。

 普段やりなれない葬儀(5月18日(月)死亡、21日(木)に葬儀とお別れ会を執行)せざるを得ず、ヘロヘロの状態でした。

 私の担当秘書のKさんには、葬儀とお別れ会の応援に来てもらって本当に感謝しています。

 私は、事件本人の生前のごく一部しか知りませんので、会葬者予定数がわかりません。入所施設の前例から10人程度の会葬者の予想で葬儀社と打ち合わせをしていたのです。

 ところが、実際の会葬者は31人。葬儀社も予定外で、スタッフの人数や諸準備が予定外で、現場は本当にパニック。

 私の担当秘書のKさんには、葬儀社の緊急アルバイト(葬儀社からのアルバイト料の支払は期待きでそうもありません。その代替分は、同僚と相談してどこかで埋め合わせをします(^0^))をしてもらいました。

 さらに、23日(土)には札幌でのシンポジウムの演者の予定。これはちょっとパス不能!

 さらにさらにですが、25日(月)の夕方の文部科学省での有識者会議での講演も担当していたのですが、体調不良のため、準備が直前までずれ込み、前日24日(日)の午後から自宅で準備を開始しました。

 資料は24日中に概ね完成したものの、添付資料のマスキング(電子データなら置き換えで済むのですが、なぜか紙ベースでしかないので、手作業のマスキングになりました)に手間取り、作業終了せず。

 やむなく、25日(月)は午前4時には起きて、準備を続行しました。午前8時前には自宅で作業を一応完成させました。

 それでも、マスキングの漏れがあるとマズイので、事務所に先にデータをメール送信し、私の担当秘書のKさんにチェックをしてもらいました。結果としては、やはり数か所、見落としがあったことが判明し、マスキングを追加し、ミスを避けられました。資料が完成したのが昼頃でした。

 文部科学省の担当職員が、参加者分の資料(Power Pointは12枚くらいですが、残りは添付資料、総ページ数47頁。)を印刷する必要があります。文部科学省からは「遅くとも20日(水)までには・・」と言われていた資料でした。

 有識者会議の参加者はマスコミを含めて40名程度。マスコミなどの傍聴者への配布はパスにして(普段は情報公開の点から、基本的に配布です。)、それでも20名分くらいは印刷するのですから、担当者には相当無理をかけました。

 この点で文部科学省の担当者にはお詫び申し上げます。

 マスコミ関係者のみなさんは、私がプレゼンテーションの中で引用している資料が手元にないので、わかりにくいプレゼンテーションだったと思いますが、このような事情でしたので御容赦ください。

 講演(プレゼンテーション)では、いつもどおり、私は、文部科学省へは厳しい意見を申し上げました。

 私が文部科学省に厳しい意見を言うことは、周知の事実で、このことは文部科学省も十分わかっているはずです。それでも、あえて、文部科学省の有識者会議委員に私を委嘱する「(文部科学省の)懐の広さ」には感心します。

 さすがに、講演(プレゼンテーション)後は、文部科学省の担当者は微妙な表情でしたが・・・・・(^0^)。有識者会議のメンバーからは、概ね好評の意見をいただけてホッとしています。

 午後6時頃には有識者会議が終了しましたが、私は、さすがに、疲れ果てていて、文部科学省からの帰りがけに(事務所と文部科学省とは近いので自転車での往復です)、コンビニエンスストア(ちょっとおいしいワインをそろえている店です)でワインを購入しました。

 事務所に戻ったところ、めずらしく、同僚の弁護士が結構残っていました。

 私以外の同僚はもちろん、仕事をしていました。でも、仕事をする気力0の私は、仕事をしていている同僚を顧みるなどという余裕はありません。

 一人でワインを飲みながら、仕事をしている同僚の迷惑を顧みず、仕事をしている同僚たちと1時間ほど事務所の運営に関する雑談をしました。

 でも、ワインをボトルの1/3も飲んだら、疲れもあり、雑談する気力さえなくなり、先に帰りました。

 帰途は、アルコールの影響もありますし(飲んだ量にかかわりなく自転車は運転しません。法律上の建前もそうですし、子どもが自転車を乗っていて重大事故に発展した損害賠償請求訴訟を見聞きしているものとしてはこんなリスクは負えません)、飲んでなくても疲れていて不安でしたので、自転車(この日の往路の通勤は自転車です)も事務所内の駐輪場に放棄して、タクシーで自宅に戻りました。

 午後9時過ぎにはベッドに入り、直ちに熟睡。

 連休直後から私同様に、体調を崩した90歳の伯父が危ないと言う情報は連休直後からあり、親戚の多くはすでに病院に見舞いに行ったという話も聞いていました。

 でも、私の健康状態では、カゼを移しにいくようなことになりかねないと思って、見舞いを控えていたのですが、熟睡中の25日(月)午後10時半頃訃報があり、その後、私自身がすべき対応もありました。
 
 私がしなければならない対応は24時頃には終わったのですが、こういう普段やり慣れてないことがあると緊張するのですよね。やるべきことが終わっても寝付けず、就寝は翌日26日(火)の午前3時。

 26日(火)は、朝からの浅草橋での仕事を正午頃には終えて、午後4時頃から伯父の自宅に弔問に行きました。

 私と同じように伯父への弔問を予定していた従兄弟に無理を言い、私の自宅を経由してもらい(当然遠回りです)、従兄弟の自動車に便乗させてもらい、移動は楽をさせてもらいました。あちらこちらに御迷惑をかけています(_ _)。

 弔問では、挨拶だけして、1時間弱で帰る予定でいて、葬儀の作業を手伝う予定はありませんでした。ですから、鞄にPCを入れたままだと重いので、PCをあえて自宅に置いて行きました。これが裏目に。

 故人の子どもたち(私の従兄弟にあたります)は、近い親族の葬儀の経験がありませんので(これはやむをえないこと)、親族(私の親族は人数が多いのです)には直接参加可能な人に一人一人電話連絡をして参加状況を確認する作業を予定していました。

 しかし、携帯電話番号が分からない従兄弟が多く、従兄弟の携帯電話番号を私に尋ねたのです。

 そんなやりかたでは、明日中に全員と連絡をとり、出欠を確定することは到底困難なので、「家」単位で「長」に連絡をし、その「家」の全員分の回答をとりまとめて、連絡してもらう方向に方法を変更することを助言して、作業自体も手伝ってきました。

 私が、自分のPCを持参せず、伯父の家にあったPC(WINXP/エクセル2002)での作業となりましたので、ショートカットは登録されていない、マクロもない、ATOKでないので文字の変換効率も悪く、時間がかかり(自分のPCを持って行けば半分以下の時間で作業が終わったはずです)帰宅が遅くなってしまいました。日付が変わる少し前に帰宅しました。

 支障が生じる依頼者にはすでにE-mailで、事情を伝えキャンセルの連絡済み。

 夕方まで接客の予定のない明日(という今日ですが・・・。27日)は、昼頃まで自宅でへばっているかもしれません。電話にでる自信もありません。事情を知らない事務所スタッフが私自身の生存を心配するようでは申し訳ありませんので、上記事情は事務所関係者には別途連絡しております。

 こんなことしていないで、早く寝て、明日(今日ですが)通常通り仕事した方が良いとは、私も思っているのですが、やり慣れないことをした緊張が続いていて、すぐには寝付けそうもない状態で、かといって仕事をする気力もありませんので、こんな結果になっています。

 年相応の方を看取るのはしょうが無いことですが、こう集中するとかないません。

  正直、明日は、事務所に行く前に、近くの鉄砲洲稲荷か波除神社で御祓いでも受けようかなとも思っています(^0^)。
posted by koichi | 04:44 | 日々雑感 | comments(0) | trackbacks(0) |
お別れ会の続報
  私が後見人を務めていた、親族がいらっしゃらない被後見人のお別れ会を21日(木)に主催しました。
 
 正確に言うと、後見業務は御本人の死亡と同時に終了しますので、

・ 委任者の急迫事務処理(民法654条:「委任が終了した場合において、急迫の事情があるときは、受任者又はその相続人若しくは法定代理人は、委任者又はその相続人若しくは法定代理人が委任事務を処理することができるに至るまで、必要な処分をしなければならない」。)

・ 事務管理(民法第697条:急な雨が降った時に隣家の洗濯物を取り込むために隣家に入るようなイメージです)

ということで葬儀は元後見人の私が行うことになります。

 その後は、相続財産管理人の選任の申立をして、引き継ぎをします。

 私は後見人就任のしばらく前からの御本人の情報しか知らないので、御本人のお別れ会のご案内を誰に知らせたら良いのかについても正確な情報が分かりません。

 かつての職場の同僚の方のまとめ役の方と地域のまとめ役の方には連絡したのですが、どの程度の方が参会していただけるか、全く想像つきません。

 葬儀社と打ち合わせでは、施設の職員や関係者で参会者は10名程度かなと想定して準備をしたのですが、なんと31名も参加していただけました。

 これはうれしい誤算ですが、現場はドタバタ!

 翌日の22日(金)は疲労困憊で、午前中は事務所にいかず、ルームウエアのまま、自宅で仕事をしていました。

 午前中に、日本転倒予防学会会長の武藤先生と、別件で電話で話をしたのですが、武藤先生からは「声が死んでる」と言われました。ここ数日の事情を説明し、普段やりなれていないことをやったので疲労困憊という事情を説明しました。武藤先生からは、「週末の土曜日、日曜日はしっかり休養をとるように」との厳命。

 しかし、私は「23日(土)は札幌出張です」と予定を言ったところ、武藤先生は「それはキャンセルするように」とのお言葉。

 でも、私は、鈴木みずえ先生に頼まれて、23日(土)は札幌の「認知症ケア学会」で転倒予防のシンポジウムでシンポジストの一人として行く予定だという趣旨を説明しました。

 これを聞いた武藤先生は、「それはしかたないけれども、日曜日は休むように」とのお言葉。

 後々考えると、「武藤先生は『私の健康よりも転倒予防が大事か!』と思ったのです」という話を昨日のシンポジウムの冒頭で話をして、参加者の気持ちをつかみました。でもよくよく考えると、この話を聞いた人が、「これは冗談だ」と分かってくれているかなと心配をしての投稿です。

 くれぐれも、望月が「『武藤Drは、望月の健康よりも転倒予防が大事だ』と言っていた」などと不用意な発言をされないように御願いします。

 今日はおとなしくしている予定です。月曜日からは、元気に仕事をするよていですので、御心配無用に・・・(^0^)
posted by koichi | 08:28 | 日々雑感 | comments(0) | trackbacks(0) |
悲しいこと
  悲しいことがあってちょっと落ち込んでいます。グチですが、聴いて下さい。

 連休最終日に不用意に引き込んだ風邪がなかなか治らず(これまでは3日以内には快癒していたのですが、アラカンだからでしょうか、10日も体調不調が続きました)、先日の日曜日(17日)は基本的におとなしくしていて、ようやく元気になった昨日(18日)でした。

 18日(月)午前中は取り扱いが微妙な事件で、代理人間で進行協議。裏技というか、体操で言えばE難度のような技での解決を模索し、ホッとしたのもつかの間。

 正午からは行政事件(労働)の尋問打合せ、14時〜16時で尋問を行いました。これ自体は無事に終了。

 別件で、身寄りのない方(法定相続人だけでなく法律上の親族もいない方)の成年後見人をしていました。

 グループホームに入所されていた方なのですが、ホームのスタッフが熱心に頑張ってくれて、2月までは外出も可能な状態で、公園への散歩、カラオケや食事を楽しんでいたのですが、3月から急に体調を崩し、4月に入院。

 1週間前には、病院の担当ナースから「何時何が起こってもいいように覚悟しておいてください」と言われました。
 
 緊急時の連絡先は私なので、寝るときもベッドサイドに携帯電話を置いておきました。

 担当ナースからは、5月16日(土)には、「頑張っても数日です」と連絡がありました。

 17日(日)は、私自身で対応するつもりでしたが、18日(月)は上記のような予定で、16時に霞ヶ関を出ても17時半に病院に到着するのが精一杯。

 入所しているグループホームの施設長と連絡をとりあって、
(1) 17日(日)の急変には私が対応するが、
(2) 18日(月)の急変だと、私は裁判所で証拠調べがあり、これはパス出来ないので、私が病院に到着するまでは施設長に対応を御願いしたい、
という事案です。

 生前に打合せをするのは気持が良いものではありませんが、急変後の対応も施設長と協議しておき、何時何が起こってもドタバタしないように準備はしておきました。

 18日(月)の正午前に、病院からは「今日がヤマ」という連絡。本当にタイミングが悪いのです。

 私自身は、身動きがとれないので、施設長に御願いをしました。幸い、亡くなる前の1時間ほど前から、施設長と担当職員に看取ってもらうことができました。
 
 尋問中は携帯電話には出られません。尋問終了後、携帯電話の電源を入れると「すでに亡くなった」というE-mailが・・・・。

 亡くなった時刻は、証人⇒原告という順序の尋問でしたが、私の証人への主尋問がちょうど終了した頃でした。

 尋問終了後すぐに病院に。霞ヶ関から電車⇒タクシーでも1時間半はかかる場所なのですよねーーー(>o<)。

 私が病院に到着した時には、すでに、入所施設の施設長のみならず、施設のスタッフが7人も駆け付けてくれていて驚きました。

 こんなに大勢のスタッフが施設を留守にすると施設は大丈夫かと余計な心配をしてしまいました。

 みんな本当に故人を惜しんでくれている気持がうれしかったです。

 私が病院に到着したのは、葬儀社のスタッフが到着する30分前。滑り込みセーフ。←確認はしていませんが、施設長が私の到着時刻を予想して、葬儀社と調整してくれていたような気がします。

 成年後見人の権限は御本人の死亡と同時に終了しますが、そこから先何もしないわけにはいきません。

 ここからしばらくは法律上は、

・ 事務管理(民法第697条:急な雨が降った時に隣家の洗濯物を取り込むために隣家に入るようなイメージです)か、

・ 委任者の急迫事務処理(民法654条:「委任が終了した場合において、急迫の事情があるときは、受任者又はその相続人若しくは法定代理人は、委任者又はその相続人若しくは法定代理人が委任事務を処理することができるに至るまで、必要な処分をしなければならない」。)

として葬儀までは済ませて、相続財産管理人の選任の申立をすることになります。

 私の親族の葬儀の時も、振り返ると、私自身がやっていることはそんなに多くないのですが、終わるとドッと疲れがでました。

 昨日は緊張していたせいか、なかなか寝付けませんでした。就寝は午前2時頃でしょうか?

 今朝は8時前には一応起きたのですが、まだ、私の後見人の延長の仕事は終わっていないのですが、すでに疲労困憊という状況。

 事務所に行く気力はなく、ルームウエアーのままで、妻が買い置いてくれた「粥」を食べてから自宅で仕事をしています。

 裁判所への出頭や依頼者との面談の予定がないので、事務所に行かなくてもなんとかなるのですが、仕事がなくなるわけではありません。

 通常業務に加えて、斎場や、施設長、葬儀社からの連絡が携帯電話に頻繁に入ります。

 私も事務所との間で、頻繁に
・ 電話連絡
・ E-mail
・ ファクシミリ。

 葬儀予定日の一つは、事務所の他の弁護士との共同事件の和解期日と競合。相代理人に電話で、事情を説明して、「場合によっては、裁判所に事情を説明して、事実上延期してもらえ」という無理な注文。

 私の担当秘書や事務所のスタッフには迷惑をかけています・・・・。

 死亡届には届出人(私)の本籍地を記入しないといけないのですが、しばし、本籍地などを記載したことがなかったので、自分の本籍地についての記憶に自信がありません。

 最近は免許証にも本籍は記載がありません。手元の資料では正確な本籍が分からず、間違ったら困りますので、私の秘書に連絡して、事務所に保管してある戸籍謄本を確認してもらうという余計な仕事まで御願いしています。←結果としては記憶は間違っていませんでしたが、最近の記憶力には自信がもてません(>o<)。

 亡くなった御本人は、元々の私の自宅の近所の方で、私の妻と交流があり、また、私の仕事を知っていたという事情から、困った時に私の家を頼った事案です。

 正確には記憶していませんが、10年ほど前に、
「自宅の鍵がなくなった」、「財布がなくなって3日も食事をしていない」
などの訴えを私の自宅にしてきたのです。その後に判明した結果は、鍵も財布もバックの中のどこにしまったかを失念していただけでしたが・・・。

 その時には、私の自宅には私の娘(当時は高校生)しかいなかったので、娘が私の事務所に事情を電話連絡してきました。

 幸い、私は事務所に居たので、その場で、娘に、
(1) 私の自宅に御本人を招き入れる、
(2) その場で御本人に待機してもらい、私の自宅からしばらく移動しないように御本人を説得する、
(3) 娘の所持金の範囲で購入可能な食事を調達する、
(4) 娘の目の前で御本人が食事を摂取するのを確認する、
(5) 本人の了解をもらってバックの中を調べて自宅の鍵を見つける、
という指示をし、同時に、社会福祉協議会に連絡したのが最初でした。

 幸い自宅の鍵も財布もバックの中から見つかったので、娘に自宅まで送らせました。

 ちなみに、この娘は現在は介護職です。このエピソードが影響があったかは分かりませんが、(親からの贔屓目を引いても)仕事に誇りを持って取り組んでいます。

 社会福祉協議会も、近所の方々からの連絡で、それまでもフォローしていた事案だったので、迅速に対応してくれました。

 その後は、社会福祉協議会と相談を重ねて、当初は介護を厚くして、自宅での見守りを試みました。

 「財布がない」とか「自宅の鍵がない」などというトラブルはその後もあり、御本人が困って私の自宅に駆け込むことも何度かあり、私の妻が当面の生活費を工面したりしたこともありました。

 社会福祉協議会との打合せでは可能な限り自宅での生活を優先したのですが、
(1) 鍋の空だき、
(2) 12時間の行方不明⇒でかけたけど帰り道が分からなくなり、警察に保護された、
などのエピソードがあり、さすがに、自宅での生活では危険と判断しました。

 区長申立で後見開始し、グループホームに入所した事案です。以上のような経過で私が成年後見人をしていました。

 法定相続人はいませんので遺産は国庫に帰属です。

 多少の贅沢をしても、生活に困窮するような事情はありませんでしたので、私からグループホームへは、
(1) おいしいものを食べ歩くのが趣味だった方なので、できるだけ、外出しておいしいものを食べる機会をつくってほしい、
(2) 税務署のOGの方なので、税務署のOB・OGの方からの同窓会の案内があれば、体調が許す限り参加させてほしいと御願いをしました。

 本当に、このグループホームのスタッフは優秀で、快く実行していただきました。

 税務署のOB・OGの同窓会では、御本人の後輩の方々から、「先輩、先輩」と言われ、昔話をしてくれたということで、御本人はとてもうれしがっていたという話を聞いております。

 本当はこんなブログを書いている時間があるなら仕事をしなければいけないのです。

 しかし、悲しい気持で、仕事の意欲がわかず、グチったしだいです。

 人は永久に生きられるものではないとは理屈では分かっています。でも、なかなか心の整理がつきません。
posted by koichi | 15:10 | 日々雑感 | comments(0) | trackbacks(0) |
着陸の決断
 昨夜、屋久島空港⇒鹿児島空港⇒羽田空港というルートで21時過ぎに東京に戻りました。

 広島空港ではアシアナ航空機が着陸失敗で負傷者が出ていること(発生時刻は、私の鹿児島空港離陸直前の時間帯です)は、22時過ぎに自宅に戻ってから初めて知りました。

 私は、叔父(79歳)と知人の高齢者(86歳)の「(生きている内に)一度は屋久島を訪れたい」というリクエストに応えるべく、引率者として(もっとも私も屋久島初体験。こころもとない引率者です)屋久島に行き、昨夜戻って来たところです。切っ掛けは、昨年の春に、知人の医師が、「屋久島はイイ!」と叫んだのが、その場に居た叔父や知人そして私の心を動かしたのです・・・(^0^)。

 4月12日から2泊3日の旅行でした。私一人の添乗員では、心細いので、介護職をしている長女に休暇を取得させ、介護要員をもう一人確保した上で4人での参加です。

 初日の12日は、鹿児島までの往路は全く問題なし。

 鹿児島から屋久島へはJAC(日本エアコミューター)便です。鹿児島⇒屋久島便の前便は、天候不良で着陸できずに鹿児島空港に戻っており(運行情報を確認していたのですが、出発直前に引き返しの情報をインターネット上で知りました)、私たちが乗る鹿児島⇒屋久島便も大丈夫かなと思いながら搭乗しました。

 予想どおり、最初の着陸では、滑走路を視認できず、再上昇。1時間ほど屋久島北側上空を旋回し、天候の回復を見ながらなお2度の着陸を試みたのですが、結果としては視界不良で着陸できませんでした。

 出発空港の鹿児島空港に引き返しました。航空機に搭乗する機会はそんなにありませんので、天候不良による搭乗した後の航空便のトラブルは、10年以上前に、視界不良で広島空港に着陸できず岡山空港に着陸(ダイバート)して、「さあどうする!」とドタバタしたことがありますが、それ以来でした。去年は、雪で羽田⇒高松空港便が欠航して、私が話をする県の講演会がドタキャンになったこともありますが・・・。

 空港の施設と航空機の装備上、「屋久島空港ではしょうがないかな」と思っていましたが、パイロットの方々は、燃料の許す限り粘ってくれて、鹿児島空港に着陸したのは離陸後2時間後でした。パイロットの方々の熱意に感謝です。←本来のフライト時間は35分ほど。

 それでも安全が優先されたのは当然の判断です。

 広島空港の現在の計器着陸装置(Instrument Landing System,ILS)は、CAT IIIbという日本の最上位の設備があり、調べた範囲では、滑走路視認距離が50m(ホントにこんなに短い視認距離で怖くないのかな・・・)あれば着陸可能な高性能な空港ですが、広島空港天候不良とは言え、アシアナ航空機に何があったのでしょうか?

 事故の問題にかかわっている一人としては、事故の再発防止のために、当該パイロットの対応も検証の対象でしょうが、そこにだけ目を向けることなく、機器の問題やパイロットに「無理」を強いる要因がなかったのかを慎重に検証して欲しいと思います。

 多数の負傷者が出ているとの報道ですが、死者が出なかったことにホッとしていると同時に、負傷された方々が早期に快復されること、事故の再発防止が図られることを願っています。
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地下鉄サリン事件から20年
 地下鉄サリン事件から20年。様々な特集報道がありました。

 時が経つのが早いのと、なぜ止められなかったのかという気持で報道を見ていました。

 私が「オウム」という固有名詞を知ったのは、坂本弁護士一家が殺された2日後のこと。坂本弁護士が所属した横浜法律事務所で、ある労働事件の弁護団会議をしていました。この事件自体には坂本弁護士は参加していなかったのですが、会議をしていても事務所全体がザワザワしていました。この弁護団には、同期で横浜法律事務所の小島周弁護士が参加していましたので、「何かあったの?」と尋ねると、「まだ未公表なんだが、坂本がオウムにさらわれた」というのです。

 私は、当時は、「オウム」という集団を知らなかったので、鳥の「オウム」と思い、「周さん。人をさらえるようなオウムなんているわけないでしょう」と、かみ合わない受け答えをしたことを覚えています。

 その後、周さんは私に、坂本弁護士一家をさらったのはカルト団体の「オウム」であること、現場にはオウムのバッチが残されていたこと、同期の弁護士の青山弁護士が「オウム」の顧問をしていること、を説明してくれました。

 私は、まだ事態の深刻さを理解できていなかったので、青山弁護士とは親しかったので、周さんに「青山さんに今から電話しようか?」と提案しました。しかし、周さんは私に、「そんなレベルの問題ではない」と答えたのです。

 その後は、次第に、状況が分かってきて、極めて深刻な状況だということが理解できました。

 強制捜査後の裁判では、青山弁護士の弁護団は、オウムとは一線を画した、司法研修所の同期同クラスの弁護士が中心に頑張りました。しかし、最終的に裁判係属中には青山さんをこちらの世界に引き戻すことには成功をしなかったとのことです。

 地下鉄サリン事件から数年経過したときに、国松長官狙撃事件の捜査にあたった捜査幹部と話をする機会がありました。オウム信者であった人々を目覚めさせるには、東京拘置所は無力だという話をされていたのが強く印象に残っています。

 オウム信者を隔離された場所に置くと、それ自体が「修行」となってしまう!

 捜査幹部の個人的見解でしたが、東京拘置所に隔離するより、社会に出して、テレビや新聞の情報を十分に提供し、現実に生活するための苦労をさせる方がよほど更生にプラスではないかというのです。

 「なるほど!」と思った記憶があります。

 坂本弁護士がさらわれた時点で、遅くとも松本サリン事件の時点で、警察・検察の的確な対応がなされていれば、地下鉄サリン事件は防げたのに。

 また、優秀な若者をオウムに「入信」という形で奪い取られたことをどうして防げなかったのか改めて考えさせられました。

 そういえば、司法研修所の卒業試験(二回試験)の前後で、青山さんが私に、一冊の冊子を示して、最近ヨガをやっていること、空中浮揚の写真を示して(今から思うと麻原の写真かと思います)、自分もできるかもしれないという話をしたことを覚えています。

 私は、「ヨガは良いと思うよ、でも空中浮揚はなーー」と軽く受け答えしたことを覚えています。

 まさか青山さんが空中浮揚ができると真剣に話をしているとは思わなかったので、空中浮揚の話は冗談だろうと思って、聞き流してしまったのです。あの時に、こんな話をする青山さんがおかれた危険性に対する感性があれば、違った展開になったのではと思ってしまいます。

 オウムの件は過去では無くこれからも起こりうると思って感性を磨いておかないと思いながら報道特集を見た昨日でした。
posted by koichi | 04:23 | 日々雑感 | comments(0) | trackbacks(0) |