「どうして場所を開催するの」という質問に答えます
2010.06.30 Wednesday
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どうして開催なのですか?あれだけの事をしてあの程度の処罰ですか?(略)
甲子園球児は、仲間がタバコを吸った、監督が暴力をふるった、これだけで甲子園参加を見送ります。夢の甲子園を目指して一生懸命練習をした球児は甲子園を諦めます。これこそ、まじめに精進している球児はあまりにかわいそうです。
高校野球は3年間のみです。ですが、大相撲はどうですか?一人二人ではありません、何十人です。それでも参加・開催です。プロとアマとは違いと言われそうですが、スポーツという点、公正なルールの下でおこなうのは同じです。
一度位、本場所で力を試さなくても、次で十分力が試す事が可能です。休場力士、朝青流をみれば分かります。
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このような疑問が、寄せられています。
私は、高校野球において不祥事があった場合の処分を審査する日本学生野球協会審査室の委員の一人でもあります。
私の基本的なスタンスは、不祥事を起こした者がいても、これと無関係に努力をしてきたアスリートの力試しの場を奪うことは極力避けたいというものです。
「学生野球の処分のあり方」で述べている基本的な視点です。
阿武松部屋については、部屋全体として謹慎措置としました。高校野球で野球部に対する出場停止処分を科すことに該当するのが、この部屋全体への謹慎処分にあたります。
7月場所をやめるということは、高校野球に例えると、夏の選手権大会(甲子園)を中止することにあたります。質・量の両面で看過できない不祥事があったとしても、不祥事と関係ない高校球児の力を試す選手権大会自体を中止するという判断は、基本的にありえないと思います。
「スポーツ法と私(法の支配145,p74-86,2007)」の中で、紹介している「大邱ユニバーシアードのテコンドー日本代表派遣問題」での仲裁事件でも強く感じているところです。
恐らく違和感があるのは、高校野球ですと純粋に「努力の結果を試す場」であると思えるのに対して、大相撲ですと、「努力の結果を試す場」と言うより、「興業」という印象が強いからでしょう。
特別調査委員会の内部の議論では、場所の開催の是非についても議論をしました。世論の大勢に従えば、「場所を開催すべきではない」という結論をとるのが単純明快で、特別調査委員会としても負担が少ない結論なことはわかっています。
しかし、まじめな力士たちの「努力の結果を試す場」を守りたいという結論になっています。
この間の連続する不祥事(私の最初の日本相撲協会との接点は、白露山・露鵬の薬物問題でした)の中で、日本相撲協会に対する、あきれに近い怒りが渦巻いているのもよく理解できます。
「『努力の結果を試す場』を守ります」という論理だけでは、現状を乗り越えられないことは当然で、ここの解決を誤ると、日本相撲協会自体が存続できないという結果になってしまいます。
解決にあたる優先順位は、
第1に、若い力士たちを支える日本相撲協会を守ることであり、
第2に、「努力の結果を試す場」である場所の開催であり、
この2つが守られるなら、他の要因、例えば、「興業」の視点からのダメージなどは、譲っても良いと思っています。最悪の場合は、1番目を守るために、2番目を捨てる選択肢もないわけではありませんが、極力避けたいと考えています。
NHKの中継の問題も、「放映権料」という視点であれば、返上することになんの躊躇もありません。しかし、相撲中継をしないという判断は、全国の相撲を愛する人たちが、相撲を見たいという機会を奪うことにもなりますので、この視点から慎重に対応しています。
外部の理事・監事を含む特別調査委員会のみなさんの基本的な認識は共通だと思っています。
ここ1週間弱の中で、私が一番苦労しているのは、日本相撲協会幹部の方々に私の考えを理解してもらうことです。国技館の外の常識を国技館の中に持ち込むことが一番の苦労です。
日本相撲協会と7月場所を守りたいという気持は、同じなのに、そのためにやるべきことを提案しても、なかなか理解をしてもらえない、これが歯がゆい現状です。
「腰が重いのは土俵上だけにして欲しい」と思わず愚痴りたくなります。
かなりな緊張関係を持って毎日を過ごしているので、日本相撲協会広報関係者には、日々遺言を残すような気持で、メッセージを発信しているつもりです。明日の日本相撲協会に必要なことですから。
日本相撲協会の仕事ができる間は、全力を尽くします。私が守ろうとしているのは、まじめに精進しているアスリートである力士たちです。このような姿勢だけは御理解ください。\(__ )