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@パークス法律事務所
暴力の根絶を目指す上で学校での運動部活動は教育の一環であるからスポーツ一般とは区別して考えるべき?
 昨日は、「スポーツ界から「暴力指導」の根絶を〜〜決意を示し、改革への共同をよびかけるつどい」に参加してきました。

 学校の先生の参加が多かったようで、現場で、「子どもに考えさせる」「児童生徒の自主性を尊重する」という教育実践の報告がある一方で、運動部活動のあり方に対する長年の思いを述べる発言がありました。

 長年の思いとしては理解できないわけではないのですが、暴力の根絶との関係でどこまで掘り下げて、長年の思いを述べているのか、疑問に思う発言もありました。

 昨日は聞き手に回るつもりでしたが、
(1) 「勝利至上主義」「競技志向」「チャンピオンシップ」が暴力の原因だという意見、
(2) 暴力の根絶を目指す上で、学校での運動部活動は、教育の一環であって、スポーツ一般とは区別して考えるという意見
は、容認できないとして発言をしてしまいました。

 (1)の勝利至上主義の点は、3月28日のブログでふれているところです。

 (2)の運動部活動の位置付けの点は、先日の日本体育協会の指導者講習でも、教育研究者から、学校においては、スポーツではなく体育としてとらえている点が暴力の問題の原因ではないかという、昨日の「集い」の発言者とは180度方向が違うのですが、発言もあり気になっていました。

 運動部活動は教育の一環であるしスポーツでもある。教育の理念からは暴力は容認されないし、スポーツの理念からも暴力は否定される。

 運動部活動の位置付けについて、あるべき論から議論をすることを否定するつもりはないが、ことスポーツ活動における暴力を根絶するたたかいにおいて、このような区別をする意味はないし、このような区別が必要だという議論は、論点を混乱させることになるので有害というのが私の意見です。

 私のような発想をされる方は少なかったようです。いずれしかるべき時に議論して整理できれば良いのですが・・・・。
posted by koichi | 12:01 | スポーツ | comments(0) | trackbacks(0) |
スポーツにおける暴力を考える視点2つ
 文部科学省が設置した「運動部活動のあり方に関する調査研究協力者会議」の委員の一人として参加しています。今日は第2回目の会議でした。この会議を通じて、私の考えを整理したので、少し紹介です。

 「勝利至上主義」「競技志向」がスポーツにおける暴力の原因なのか?

 スポーツにおける暴力の原因として「勝利至上主義」・「競技志向」を指摘する意見がある。確かに、「勝利至上主義」は正しくないが、
「勝利至上主義」・「競技志向」がスポーツにおける暴力の第1の要因とする意見も正しくない。

 「勝利至上主義」・「競技志向」が、スポーツにおける暴力の要因の一つであると指摘するのは正しいが、第1の要因は、暴力が強い選手、強いチームをつくる上で有益だという誤った考えである。

 「勝利至上主義」が暴力の第1の要因とする考えのベースには、暴力が強い選手、強いチームをつくる上で有益という前提をとっている点で、暴力を容認する考えと同じ土俵に乗ってしまっている。

 暴力で指導者が選手を服従させることは競技力向上にならないということ、競技力を向上させるためには選手自身に考えさせる力をつける指導が必要だということを指導者に理解してもらわないと、スポーツにおける暴力がなくならない。

 「勝利至上主義」が暴力の要因の一つであると指摘するのは正しいが、暴力に頼るという誤った指導方法がベースにあって、これに加えて「勝利至上主義」が加わると暴力に頼るという誤った指導方法がエスカレートするという意味で要因の一つであるが、根源は暴力が強い選手、強いチームをつくる上で有益という点の誤りを正すことが最大のポイントではないのか。

 医療行為における正当行為の判断要素に学ぶ

 スポーツ指導として許される範囲を考える上で、医療行為における正当な医療行為の範囲を判断する判断要素が参考になる。

 医療行為として、患者の身体にメスを入れるなどの侵襲をともなう行為がある。患者の身体に侵襲をする行為は、刑法204条の傷害罪に該当する行為となる。このような身体への侵襲であっても正当な医療行為であるならば、刑法35条で、正当行為として「法令又は正当な業務による行為」として違法性を阻却する。

 どのような場合に正当な医療行為と言えるかという要素は、
第1に、科学的な根拠(エビデンス)に基づく医療行為であることが必要。医師がどんなに正しいと主張しても、それが科学的な裏付けがなければ正当行為とはならない。
第2に、説明と同意(インフォームドコンセント)があること。単に正しい医療行為であっても、患者の自己決定権を侵害してはならない。

 スポーツに置き換えるならば、次の2点になる。

第1に、暴力に頼る指導は明らかにエビデンスに欠ける行為である。肉体的負荷が大きい練習、厳しい練習であっても、それがトレーニング方法として科学に裏付けられた正しい指導としてエビデンスがあるならば、正当行為となるが、エビデンスがなければ、正当行為の要件に欠ける。経験と根性だけではエビデンスに欠けると指摘しなければならない。

第2に、正しい指導方法であっても、児童・生徒に対して、その指導が必要であることについて言葉で語ることができ、コンセンサスを得ることが必要。「黙ってついてこい」ではダメ。

 このような視点が必要なのではないと思っています。
posted by koichi | 12:50 | スポーツ | comments(0) | trackbacks(0) |