地下鉄サリン事件から20年
2015.03.21 Saturday
地下鉄サリン事件から20年。様々な特集報道がありました。
時が経つのが早いのと、なぜ止められなかったのかという気持で報道を見ていました。
私が「オウム」という固有名詞を知ったのは、坂本弁護士一家が殺された2日後のこと。坂本弁護士が所属した横浜法律事務所で、ある労働事件の弁護団会議をしていました。この事件自体には坂本弁護士は参加していなかったのですが、会議をしていても事務所全体がザワザワしていました。この弁護団には、同期で横浜法律事務所の小島周弁護士が参加していましたので、「何かあったの?」と尋ねると、「まだ未公表なんだが、坂本がオウムにさらわれた」というのです。
私は、当時は、「オウム」という集団を知らなかったので、鳥の「オウム」と思い、「周さん。人をさらえるようなオウムなんているわけないでしょう」と、かみ合わない受け答えをしたことを覚えています。
その後、周さんは私に、坂本弁護士一家をさらったのはカルト団体の「オウム」であること、現場にはオウムのバッチが残されていたこと、同期の弁護士の青山弁護士が「オウム」の顧問をしていること、を説明してくれました。
私は、まだ事態の深刻さを理解できていなかったので、青山弁護士とは親しかったので、周さんに「青山さんに今から電話しようか?」と提案しました。しかし、周さんは私に、「そんなレベルの問題ではない」と答えたのです。
その後は、次第に、状況が分かってきて、極めて深刻な状況だということが理解できました。
強制捜査後の裁判では、青山弁護士の弁護団は、オウムとは一線を画した、司法研修所の同期同クラスの弁護士が中心に頑張りました。しかし、最終的に裁判係属中には青山さんをこちらの世界に引き戻すことには成功をしなかったとのことです。
地下鉄サリン事件から数年経過したときに、国松長官狙撃事件の捜査にあたった捜査幹部と話をする機会がありました。オウム信者であった人々を目覚めさせるには、東京拘置所は無力だという話をされていたのが強く印象に残っています。
オウム信者を隔離された場所に置くと、それ自体が「修行」となってしまう!
捜査幹部の個人的見解でしたが、東京拘置所に隔離するより、社会に出して、テレビや新聞の情報を十分に提供し、現実に生活するための苦労をさせる方がよほど更生にプラスではないかというのです。
「なるほど!」と思った記憶があります。
坂本弁護士がさらわれた時点で、遅くとも松本サリン事件の時点で、警察・検察の的確な対応がなされていれば、地下鉄サリン事件は防げたのに。
また、優秀な若者をオウムに「入信」という形で奪い取られたことをどうして防げなかったのか改めて考えさせられました。
そういえば、司法研修所の卒業試験(二回試験)の前後で、青山さんが私に、一冊の冊子を示して、最近ヨガをやっていること、空中浮揚の写真を示して(今から思うと麻原の写真かと思います)、自分もできるかもしれないという話をしたことを覚えています。
私は、「ヨガは良いと思うよ、でも空中浮揚はなーー」と軽く受け答えしたことを覚えています。
まさか青山さんが空中浮揚ができると真剣に話をしているとは思わなかったので、空中浮揚の話は冗談だろうと思って、聞き流してしまったのです。あの時に、こんな話をする青山さんがおかれた危険性に対する感性があれば、違った展開になったのではと思ってしまいます。
オウムの件は過去では無くこれからも起こりうると思って感性を磨いておかないと思いながら報道特集を見た昨日でした。
時が経つのが早いのと、なぜ止められなかったのかという気持で報道を見ていました。
私が「オウム」という固有名詞を知ったのは、坂本弁護士一家が殺された2日後のこと。坂本弁護士が所属した横浜法律事務所で、ある労働事件の弁護団会議をしていました。この事件自体には坂本弁護士は参加していなかったのですが、会議をしていても事務所全体がザワザワしていました。この弁護団には、同期で横浜法律事務所の小島周弁護士が参加していましたので、「何かあったの?」と尋ねると、「まだ未公表なんだが、坂本がオウムにさらわれた」というのです。
私は、当時は、「オウム」という集団を知らなかったので、鳥の「オウム」と思い、「周さん。人をさらえるようなオウムなんているわけないでしょう」と、かみ合わない受け答えをしたことを覚えています。
その後、周さんは私に、坂本弁護士一家をさらったのはカルト団体の「オウム」であること、現場にはオウムのバッチが残されていたこと、同期の弁護士の青山弁護士が「オウム」の顧問をしていること、を説明してくれました。
私は、まだ事態の深刻さを理解できていなかったので、青山弁護士とは親しかったので、周さんに「青山さんに今から電話しようか?」と提案しました。しかし、周さんは私に、「そんなレベルの問題ではない」と答えたのです。
その後は、次第に、状況が分かってきて、極めて深刻な状況だということが理解できました。
強制捜査後の裁判では、青山弁護士の弁護団は、オウムとは一線を画した、司法研修所の同期同クラスの弁護士が中心に頑張りました。しかし、最終的に裁判係属中には青山さんをこちらの世界に引き戻すことには成功をしなかったとのことです。
地下鉄サリン事件から数年経過したときに、国松長官狙撃事件の捜査にあたった捜査幹部と話をする機会がありました。オウム信者であった人々を目覚めさせるには、東京拘置所は無力だという話をされていたのが強く印象に残っています。
オウム信者を隔離された場所に置くと、それ自体が「修行」となってしまう!
捜査幹部の個人的見解でしたが、東京拘置所に隔離するより、社会に出して、テレビや新聞の情報を十分に提供し、現実に生活するための苦労をさせる方がよほど更生にプラスではないかというのです。
「なるほど!」と思った記憶があります。
坂本弁護士がさらわれた時点で、遅くとも松本サリン事件の時点で、警察・検察の的確な対応がなされていれば、地下鉄サリン事件は防げたのに。
また、優秀な若者をオウムに「入信」という形で奪い取られたことをどうして防げなかったのか改めて考えさせられました。
そういえば、司法研修所の卒業試験(二回試験)の前後で、青山さんが私に、一冊の冊子を示して、最近ヨガをやっていること、空中浮揚の写真を示して(今から思うと麻原の写真かと思います)、自分もできるかもしれないという話をしたことを覚えています。
私は、「ヨガは良いと思うよ、でも空中浮揚はなーー」と軽く受け答えしたことを覚えています。
まさか青山さんが空中浮揚ができると真剣に話をしているとは思わなかったので、空中浮揚の話は冗談だろうと思って、聞き流してしまったのです。あの時に、こんな話をする青山さんがおかれた危険性に対する感性があれば、違った展開になったのではと思ってしまいます。
オウムの件は過去では無くこれからも起こりうると思って感性を磨いておかないと思いながら報道特集を見た昨日でした。