グチの三つ目です
2015.05.27 Wednesday
連休末の大掃除で不用意なカゼを引き込み、ようやく治りかかったのですが、全く身寄りのない方(私が後見人)が急に健康状態が悪くなり、元気だった状態から3か月で急逝されました。
普段やりなれない葬儀(5月18日(月)死亡、21日(木)に葬儀とお別れ会を執行)せざるを得ず、ヘロヘロの状態でした。
私の担当秘書のKさんには、葬儀とお別れ会の応援に来てもらって本当に感謝しています。
私は、事件本人の生前のごく一部しか知りませんので、会葬者予定数がわかりません。入所施設の前例から10人程度の会葬者の予想で葬儀社と打ち合わせをしていたのです。
ところが、実際の会葬者は31人。葬儀社も予定外で、スタッフの人数や諸準備が予定外で、現場は本当にパニック。
私の担当秘書のKさんには、葬儀社の緊急アルバイト(葬儀社からのアルバイト料の支払は期待きでそうもありません。その代替分は、同僚と相談してどこかで埋め合わせをします(^0^))をしてもらいました。
さらに、23日(土)には札幌でのシンポジウムの演者の予定。これはちょっとパス不能!
さらにさらにですが、25日(月)の夕方の文部科学省での有識者会議での講演も担当していたのですが、体調不良のため、準備が直前までずれ込み、前日24日(日)の午後から自宅で準備を開始しました。
資料は24日中に概ね完成したものの、添付資料のマスキング(電子データなら置き換えで済むのですが、なぜか紙ベースでしかないので、手作業のマスキングになりました)に手間取り、作業終了せず。
やむなく、25日(月)は午前4時には起きて、準備を続行しました。午前8時前には自宅で作業を一応完成させました。
それでも、マスキングの漏れがあるとマズイので、事務所に先にデータをメール送信し、私の担当秘書のKさんにチェックをしてもらいました。結果としては、やはり数か所、見落としがあったことが判明し、マスキングを追加し、ミスを避けられました。資料が完成したのが昼頃でした。
文部科学省の担当職員が、参加者分の資料(Power Pointは12枚くらいですが、残りは添付資料、総ページ数47頁。)を印刷する必要があります。文部科学省からは「遅くとも20日(水)までには・・」と言われていた資料でした。
有識者会議の参加者はマスコミを含めて40名程度。マスコミなどの傍聴者への配布はパスにして(普段は情報公開の点から、基本的に配布です。)、それでも20名分くらいは印刷するのですから、担当者には相当無理をかけました。
この点で文部科学省の担当者にはお詫び申し上げます。
マスコミ関係者のみなさんは、私がプレゼンテーションの中で引用している資料が手元にないので、わかりにくいプレゼンテーションだったと思いますが、このような事情でしたので御容赦ください。
講演(プレゼンテーション)では、いつもどおり、私は、文部科学省へは厳しい意見を申し上げました。
私が文部科学省に厳しい意見を言うことは、周知の事実で、このことは文部科学省も十分わかっているはずです。それでも、あえて、文部科学省の有識者会議委員に私を委嘱する「(文部科学省の)懐の広さ」には感心します。
さすがに、講演(プレゼンテーション)後は、文部科学省の担当者は微妙な表情でしたが・・・・・(^0^)。有識者会議のメンバーからは、概ね好評の意見をいただけてホッとしています。
午後6時頃には有識者会議が終了しましたが、私は、さすがに、疲れ果てていて、文部科学省からの帰りがけに(事務所と文部科学省とは近いので自転車での往復です)、コンビニエンスストア(ちょっとおいしいワインをそろえている店です)でワインを購入しました。
事務所に戻ったところ、めずらしく、同僚の弁護士が結構残っていました。
私以外の同僚はもちろん、仕事をしていました。でも、仕事をする気力0の私は、仕事をしていている同僚を顧みるなどという余裕はありません。
一人でワインを飲みながら、仕事をしている同僚の迷惑を顧みず、仕事をしている同僚たちと1時間ほど事務所の運営に関する雑談をしました。
でも、ワインをボトルの1/3も飲んだら、疲れもあり、雑談する気力さえなくなり、先に帰りました。
帰途は、アルコールの影響もありますし(飲んだ量にかかわりなく自転車は運転しません。法律上の建前もそうですし、子どもが自転車を乗っていて重大事故に発展した損害賠償請求訴訟を見聞きしているものとしてはこんなリスクは負えません)、飲んでなくても疲れていて不安でしたので、自転車(この日の往路の通勤は自転車です)も事務所内の駐輪場に放棄して、タクシーで自宅に戻りました。
午後9時過ぎにはベッドに入り、直ちに熟睡。
連休直後から私同様に、体調を崩した90歳の伯父が危ないと言う情報は連休直後からあり、親戚の多くはすでに病院に見舞いに行ったという話も聞いていました。
でも、私の健康状態では、カゼを移しにいくようなことになりかねないと思って、見舞いを控えていたのですが、熟睡中の25日(月)午後10時半頃訃報があり、その後、私自身がすべき対応もありました。
私がしなければならない対応は24時頃には終わったのですが、こういう普段やり慣れてないことがあると緊張するのですよね。やるべきことが終わっても寝付けず、就寝は翌日26日(火)の午前3時。
26日(火)は、朝からの浅草橋での仕事を正午頃には終えて、午後4時頃から伯父の自宅に弔問に行きました。
私と同じように伯父への弔問を予定していた従兄弟に無理を言い、私の自宅を経由してもらい(当然遠回りです)、従兄弟の自動車に便乗させてもらい、移動は楽をさせてもらいました。あちらこちらに御迷惑をかけています(_ _)。
弔問では、挨拶だけして、1時間弱で帰る予定でいて、葬儀の作業を手伝う予定はありませんでした。ですから、鞄にPCを入れたままだと重いので、PCをあえて自宅に置いて行きました。これが裏目に。
故人の子どもたち(私の従兄弟にあたります)は、近い親族の葬儀の経験がありませんので(これはやむをえないこと)、親族(私の親族は人数が多いのです)には直接参加可能な人に一人一人電話連絡をして参加状況を確認する作業を予定していました。
しかし、携帯電話番号が分からない従兄弟が多く、従兄弟の携帯電話番号を私に尋ねたのです。
そんなやりかたでは、明日中に全員と連絡をとり、出欠を確定することは到底困難なので、「家」単位で「長」に連絡をし、その「家」の全員分の回答をとりまとめて、連絡してもらう方向に方法を変更することを助言して、作業自体も手伝ってきました。
私が、自分のPCを持参せず、伯父の家にあったPC(WINXP/エクセル2002)での作業となりましたので、ショートカットは登録されていない、マクロもない、ATOKでないので文字の変換効率も悪く、時間がかかり(自分のPCを持って行けば半分以下の時間で作業が終わったはずです)帰宅が遅くなってしまいました。日付が変わる少し前に帰宅しました。
支障が生じる依頼者にはすでにE-mailで、事情を伝えキャンセルの連絡済み。
夕方まで接客の予定のない明日(という今日ですが・・・。27日)は、昼頃まで自宅でへばっているかもしれません。電話にでる自信もありません。事情を知らない事務所スタッフが私自身の生存を心配するようでは申し訳ありませんので、上記事情は事務所関係者には別途連絡しております。
こんなことしていないで、早く寝て、明日(今日ですが)通常通り仕事した方が良いとは、私も思っているのですが、やり慣れないことをした緊張が続いていて、すぐには寝付けそうもない状態で、かといって仕事をする気力もありませんので、こんな結果になっています。
年相応の方を看取るのはしょうが無いことですが、こう集中するとかないません。
正直、明日は、事務所に行く前に、近くの鉄砲洲稲荷か波除神社で御祓いでも受けようかなとも思っています(^0^)。
普段やりなれない葬儀(5月18日(月)死亡、21日(木)に葬儀とお別れ会を執行)せざるを得ず、ヘロヘロの状態でした。
私の担当秘書のKさんには、葬儀とお別れ会の応援に来てもらって本当に感謝しています。
私は、事件本人の生前のごく一部しか知りませんので、会葬者予定数がわかりません。入所施設の前例から10人程度の会葬者の予想で葬儀社と打ち合わせをしていたのです。
ところが、実際の会葬者は31人。葬儀社も予定外で、スタッフの人数や諸準備が予定外で、現場は本当にパニック。
私の担当秘書のKさんには、葬儀社の緊急アルバイト(葬儀社からのアルバイト料の支払は期待きでそうもありません。その代替分は、同僚と相談してどこかで埋め合わせをします(^0^))をしてもらいました。
さらに、23日(土)には札幌でのシンポジウムの演者の予定。これはちょっとパス不能!
さらにさらにですが、25日(月)の夕方の文部科学省での有識者会議での講演も担当していたのですが、体調不良のため、準備が直前までずれ込み、前日24日(日)の午後から自宅で準備を開始しました。
資料は24日中に概ね完成したものの、添付資料のマスキング(電子データなら置き換えで済むのですが、なぜか紙ベースでしかないので、手作業のマスキングになりました)に手間取り、作業終了せず。
やむなく、25日(月)は午前4時には起きて、準備を続行しました。午前8時前には自宅で作業を一応完成させました。
それでも、マスキングの漏れがあるとマズイので、事務所に先にデータをメール送信し、私の担当秘書のKさんにチェックをしてもらいました。結果としては、やはり数か所、見落としがあったことが判明し、マスキングを追加し、ミスを避けられました。資料が完成したのが昼頃でした。
文部科学省の担当職員が、参加者分の資料(Power Pointは12枚くらいですが、残りは添付資料、総ページ数47頁。)を印刷する必要があります。文部科学省からは「遅くとも20日(水)までには・・」と言われていた資料でした。
有識者会議の参加者はマスコミを含めて40名程度。マスコミなどの傍聴者への配布はパスにして(普段は情報公開の点から、基本的に配布です。)、それでも20名分くらいは印刷するのですから、担当者には相当無理をかけました。
この点で文部科学省の担当者にはお詫び申し上げます。
マスコミ関係者のみなさんは、私がプレゼンテーションの中で引用している資料が手元にないので、わかりにくいプレゼンテーションだったと思いますが、このような事情でしたので御容赦ください。
講演(プレゼンテーション)では、いつもどおり、私は、文部科学省へは厳しい意見を申し上げました。
私が文部科学省に厳しい意見を言うことは、周知の事実で、このことは文部科学省も十分わかっているはずです。それでも、あえて、文部科学省の有識者会議委員に私を委嘱する「(文部科学省の)懐の広さ」には感心します。
さすがに、講演(プレゼンテーション)後は、文部科学省の担当者は微妙な表情でしたが・・・・・(^0^)。有識者会議のメンバーからは、概ね好評の意見をいただけてホッとしています。
午後6時頃には有識者会議が終了しましたが、私は、さすがに、疲れ果てていて、文部科学省からの帰りがけに(事務所と文部科学省とは近いので自転車での往復です)、コンビニエンスストア(ちょっとおいしいワインをそろえている店です)でワインを購入しました。
事務所に戻ったところ、めずらしく、同僚の弁護士が結構残っていました。
私以外の同僚はもちろん、仕事をしていました。でも、仕事をする気力0の私は、仕事をしていている同僚を顧みるなどという余裕はありません。
一人でワインを飲みながら、仕事をしている同僚の迷惑を顧みず、仕事をしている同僚たちと1時間ほど事務所の運営に関する雑談をしました。
でも、ワインをボトルの1/3も飲んだら、疲れもあり、雑談する気力さえなくなり、先に帰りました。
帰途は、アルコールの影響もありますし(飲んだ量にかかわりなく自転車は運転しません。法律上の建前もそうですし、子どもが自転車を乗っていて重大事故に発展した損害賠償請求訴訟を見聞きしているものとしてはこんなリスクは負えません)、飲んでなくても疲れていて不安でしたので、自転車(この日の往路の通勤は自転車です)も事務所内の駐輪場に放棄して、タクシーで自宅に戻りました。
午後9時過ぎにはベッドに入り、直ちに熟睡。
連休直後から私同様に、体調を崩した90歳の伯父が危ないと言う情報は連休直後からあり、親戚の多くはすでに病院に見舞いに行ったという話も聞いていました。
でも、私の健康状態では、カゼを移しにいくようなことになりかねないと思って、見舞いを控えていたのですが、熟睡中の25日(月)午後10時半頃訃報があり、その後、私自身がすべき対応もありました。
私がしなければならない対応は24時頃には終わったのですが、こういう普段やり慣れてないことがあると緊張するのですよね。やるべきことが終わっても寝付けず、就寝は翌日26日(火)の午前3時。
26日(火)は、朝からの浅草橋での仕事を正午頃には終えて、午後4時頃から伯父の自宅に弔問に行きました。
私と同じように伯父への弔問を予定していた従兄弟に無理を言い、私の自宅を経由してもらい(当然遠回りです)、従兄弟の自動車に便乗させてもらい、移動は楽をさせてもらいました。あちらこちらに御迷惑をかけています(_ _)。
弔問では、挨拶だけして、1時間弱で帰る予定でいて、葬儀の作業を手伝う予定はありませんでした。ですから、鞄にPCを入れたままだと重いので、PCをあえて自宅に置いて行きました。これが裏目に。
故人の子どもたち(私の従兄弟にあたります)は、近い親族の葬儀の経験がありませんので(これはやむをえないこと)、親族(私の親族は人数が多いのです)には直接参加可能な人に一人一人電話連絡をして参加状況を確認する作業を予定していました。
しかし、携帯電話番号が分からない従兄弟が多く、従兄弟の携帯電話番号を私に尋ねたのです。
そんなやりかたでは、明日中に全員と連絡をとり、出欠を確定することは到底困難なので、「家」単位で「長」に連絡をし、その「家」の全員分の回答をとりまとめて、連絡してもらう方向に方法を変更することを助言して、作業自体も手伝ってきました。
私が、自分のPCを持参せず、伯父の家にあったPC(WINXP/エクセル2002)での作業となりましたので、ショートカットは登録されていない、マクロもない、ATOKでないので文字の変換効率も悪く、時間がかかり(自分のPCを持って行けば半分以下の時間で作業が終わったはずです)帰宅が遅くなってしまいました。日付が変わる少し前に帰宅しました。
支障が生じる依頼者にはすでにE-mailで、事情を伝えキャンセルの連絡済み。
夕方まで接客の予定のない明日(という今日ですが・・・。27日)は、昼頃まで自宅でへばっているかもしれません。電話にでる自信もありません。事情を知らない事務所スタッフが私自身の生存を心配するようでは申し訳ありませんので、上記事情は事務所関係者には別途連絡しております。
こんなことしていないで、早く寝て、明日(今日ですが)通常通り仕事した方が良いとは、私も思っているのですが、やり慣れないことをした緊張が続いていて、すぐには寝付けそうもない状態で、かといって仕事をする気力もありませんので、こんな結果になっています。
年相応の方を看取るのはしょうが無いことですが、こう集中するとかないません。
正直、明日は、事務所に行く前に、近くの鉄砲洲稲荷か波除神社で御祓いでも受けようかなとも思っています(^0^)。